フラワーエッセイ Vol.1
花ことばエッセイ
「菊……お彼岸と氷菓の思ひ出」
都築隆広
少年の頃、お彼岸には菊を買ってお墓参りに出かけた。
うちのお墓は電車で一時間の山の中にある。一時間といえども、都会とは違って電車は三時間に一本だ。正午の電車が行ってしまうと、三時過ぎまで来ない。
暑さ寒さも彼岸までとはいったもので、当時の九月は今よりもずっと涼しくて過ごしやすかった。しかし、帰りの電車の時間まで、一緒に遊ぶ友達も田舎にはいない。一月前のお盆に済ましたばかりのお墓参りのために何故、一日潰さなくてはならないのか……?
遊びたい盛りの子どもにしてみたら、お彼岸とは甚だ疑問なイベントであった。
◎ ◎ ◎
そもそも“彼岸”とはなんだろう?
仏教用語で、霊魂が生死の狭間で迷うに対し、悟りの境地、に達した状態を指す言葉のようである。
我々がよく口にする言葉でいうところの、“成仏”にニュアンスが近いのだろうか?
供える菊は黄色い大輪種だったり、中輪種だったり、スプレー菊だったり、種類は色々あるようだが、当時の僕らには区別がつかなかった。
菊は中国から入ってきた花で、日本にいつ頃、伝来したかは諸説ある。平安時代になると「源氏物語」などの文学にも数多くこの花が描かれ、宮廷では菊を飾り、菊酒を飲んで穢れを祓う宴も催された。江戸時代になると菊人形などで、武士や庶民の間で盛んに栽培されていたようだ。和食に添える食用菊なんてものもあり、古くから日本人に愛されてきた花だといえる。
◎ ◎ ◎
お墓参りのときは、買ってきた菊をそのまま花挿しに水を入れて活けていた。
水切りしたり、余分な葉や枝をむしった方が長持ちすると知ったのはずっと大人になってからだ。菊などの仏花でお墓が飾られると、子ども達は線香を持って石段を駆け上がる。本家の墓参りもしなくてはならないからだ。
お墓は急勾配の斜面にあった。頂きに本家のお墓があり、その下に分家が続く。僕の名字は都会では多くはないが、田舎ではお墓の一区画が殆ど、同じ名字である。皆、親戚なのだ。親でしか関係性を把握できていない遠戚である。子ども同士とはいえ顔も名前も知らない子達なので会話することはおろか、一緒に遊ぶこともない。
だが、ある年、その中の一人が声をかけてきた。
「……食べる?」
黄色い大輪の菊を抱いた、同じ年ぐらいの女の子だった。
一瞬、菊の花を食べろといってきたのかと思ったら、差し出されていたのはビニール入りのアイスキャンディーである。
よく見ると墓石の上に徳用アイスの箱があり、その家はお墓の前で、行楽気分でアイスを分け合っているようだった。躾の厳しい我が家ではお墓参りの最中に飲食するなどもっての他だったから、ぼくは驚いた。子ども達だけならまだしも、親達もアイスを齧っていた。
「ちょうだい」
それでも誘惑には勝てず、僕は少女から棒付きのアイスを受け取った。
一口齧ると、口の中に冷たさと甘さが広がる。クリームが溶ける。ミルク味だ。
◎ ◎ ◎
少女の顔つきを思い出そうとしても、大人になった今では雫をたらした写真のように、不思議と面影はぼやけてしまっている。
その後、少女はどうなったのだろう?
◎ ◎
ただ、ひんやりと氷が溶ける舌先の感触と、視界の隅で揺れる黄色い花びらだけが心に残っている。一度見たら忘れられない、鮮やかな大輪の菊。初恋にすらなりえなかった、なつかしい秋の日の記憶である。
今でも凛と咲く菊の花を見かけると、あの時のことを思い出す。
菊(黄色)の花言葉……「わずかな愛」
(了)